国際温泉評論家 山本正隆のココシカ温泉談義
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国際温泉評論家の視点 <旅と温泉>

 国際温泉評論家を自称している。もともと評論家願望があったのだが、評論家を自称するにあたっては、それなりの自己規制を行っている。評論家は公的な資格でもなんでもないので、勝手に自称すればそれで済む。実際TVなどに出てくる様々な評論家を見ていると、そうとしか思えない方々も大勢いらっしゃる様にも見える。昨今、振り込め詐欺、悪質リフォームをはじめ、クレーム隠し、偽装設計、粉飾決算などの詐欺あるいは詐欺まがいの事件が世間を騒がせている。その点、勝手に評論家を名乗るくらいのことは、人様にあまり迷惑を掛たりはしまいから、許されても良いのかもしれない。しかしそれでは自分としてはプライドが許さない。評論家を名乗るからには社会的に詐称にならない程度の裏づけは必要だと思っている。
 会社などの組織の中で「あいつは評論家だ」と陰口されることは大変不名誉なこととされる。仮に良い発言をしても「あいつは評論家だから」ということで無視され、重要な仕事からは外される。すなわち会社では「実績もないのに口ばかり」という人を誹謗するときに「評論家」が使われるのである。しかし世の中の評論家は実際に仕事をする訳ではないので、一言でも「良いこと」が言えればそれで良いのである。
 「良いこと」を言うためには何が必要だろうか。先ず「実績」の裏付けであろう。話の中で「例えば・・・」を言えば話が分りやすいし、聞く方も納得する。自らの体験がないと真迫性のある「例えば・・・」は言えない。次に必要なのは独自の視点であろう。いくら良いことであっても、他人の受け売りでは何も知らない人はともかく、分かっている人々からは馬鹿にされる。もちろん「良いこと」を言うためには、その視点に基づいた「分析と考察」は必要である。即ち「実績」と「独自の視点」を持っていて、かつ「分析と考察」ができるということが、詐称にならない評論家の条件であろう。
 

実績

 国際温泉評論家の条件をクリアしていることを示すために、先ず実績から紹介しておこう。温泉に関しては、幼少の頃(戦前)から祖父母の湯治に別府などについて行っていたのだから、無論戦時中の中断はあったにせよ、国内での温泉キャリアは長い。先日、このところ人気復活で有名になった大分の長湯温泉へ行って、街の情報センタのようなところに飾ってあった昔の温泉街の写真を見て、とたんに65年くらい前に父に連れられて兄と一緒に泊まった三階建ての宿の記憶がよみがえった。
 就職して東京に住む様になってからは、同僚との旅行にはもっぱら温泉に行っていたし、信州好きの仲間で会を結成して定期的に信州の温泉を巡っていた。
仲間の一人にゴルフ好きがいて、ある時日本の47都道府県全てでゴルフをした、すなわちゴルフ場の全県制覇をやったと自慢されてしまった。それを聞いて負けてはならじと、温泉の全県制覇を思い立ち、カウントしてみたらそのとき7県が残っていた。あと3年でと目標を立て、出張の度に一つづつ潰して行き、高知県を最後に目標を達成したのが1996年である。そのときははしゃいで記念のテレホンカーを作って配ったりしたものである。
 しかし一般の人は温泉の47都道府県、全国制覇というと「ほう!」位は言ってくれるが、その程度の実績で評論家を名乗るのはおこがましい。既に温泉評論家と言われている方々の実績の足下にも及ばないのである。そこで目をつけたのが海外の温泉である。仕事で海外への出張は多く、週末が温泉の近くになるように日程を調整しては出張先から温泉に出掛けていた。もちろん連休などプライベートなツアーでも自由行動の日には温泉に行き、それらが積もって定年になった時に数えてみると海外で19ヵ国の温泉を体験していた。今では海外23ヵ国、約100ヵ所の温泉入浴体験をしている。日本での海外の温泉の紹介は少ないし、あっても「療養が中心だ」とか「飲泉が多い」などと、古いものかあるいは片寄った情報である。これだけの実績があれば、最近の海外温泉事情やトレンドを、例えば「海外にも裸で入る温泉はたくさんあるよ」とか「日本の温泉が海外でブームになっているよ」というようなことを、現場体験に基づいて語ることができる。国際温泉評論家を標榜するにあたっての実績としては、一先ず「これで良し」ということだろう。


視点

 評論家を名乗るにあたっての次の関門は、独自の視点として、何を捉えるかということである。「国際」を冠して温泉を語るのであるから、学術風に言うと当然「国際比較文化論」的な切り口になる。その中で結局「旅と温泉」というテーマに絞った訳であるが、そういうありきたりのテーマが何故「独自の視点」になるのかは、説明しないと分ってはもらえないだろう。
 国際温泉評論家を名乗る切掛けは、定年になって肩書がなくなり、会合などで自己紹介をするときに困ったからである。自己紹介は一般に「何処そこの誰々です」というふうに言う。長い間「何処そこの」は勤めていた会社であった。しかしそれが急になくなると順番が回ってきたときに戸惑ってしまう。そこである同窓会の会合で、たわむれで「国際温泉評論家の・・・」といってみたら大いに受けた。以来それを名乗ることにしたのである。
 何故そういう肩書を咄嗟に思い付いたのかを考えてみると、もともと評論家願望があったこともさることながら、海外の温泉に入ってみて、大変気持が良かったからである。日本人はあれだけ温泉好きなのに、海外の温泉では滅多に日本人に会うことはない。ヨーロッパで2週間かけて温泉巡りをしたことがある。15の温泉に入ったが温泉で日本人に遭ったのは、もっとも有名な温泉であるバーデンバーデンだけであった。観光地にはどこにでも今や日本人が溢れているのにである。どうも日本人は海外の温泉に人見知りをしているようである。海外旅行も今や特別な旅行ではなくなった。是非とも日本での旅行と同じ様に、海外旅行でも温泉に入ってもらいたい。それが日本人にとってはより自然で快適な旅になるのではないか。だから海外の温泉を日本の皆さんに知ってもらいたい。そういう気持が強かった。
 以上の気持は海外旅行の楽しみをみんなで分かち合おうという、いわば同胞愛的なものだが、もう一つ日本の優れた文化を海外に広めたいという願望もあった。国際化は目下世界的なトレンドであり、それに伴いグローバルスタンダードと称してアメリカンスタンダードが、政治、経済、ビジネスモデルなどあらゆる分野を侵略しつつある。放置すると日本文化もそのアイデンティティーを失いかねない。カラオケやマンガだけが日本の文化と思われても困る。もっと文化的な領域での優れた日本文化、即ち温泉文化を世界に広め、グローバルスタンダードの中に確固たる位置を確立しなければならない。これは愛国主義的な考えである。
 国際温泉評論家を自称したことの根底には、大袈裟過ぎる言い方ではあるが、なんと同胞愛と愛国主義があったのである。これは自己分析の結論である。
 ここで断っておくが、温泉を評論するにあたって泉質や掛け流しかどうかなどにこだわってはいない。現在日本の温泉では浴室に温泉の分析データが表示されている。海外の温泉でもインターネットなどで調べると泉質の分析データが詳しく公開されている温泉が多い。しかし分析データを見て浸かって気持ちが良いかどうかの判断はつきにくいのである。評論家としては気持ちが良かったか、気分がよかったか、気に入ったかなどと気分の問題で温泉の評価をしている。もちろんその中には肌で感じる泉質の良さや感じられる温泉の鮮度なども評価の要素として入ってはいるが、決してそれは主要な要素ではない。それよりも露天であれば雰囲気の良い立地か、解放感は十分か、浴槽のつくりは良いかなどが評価のポイントである。温泉旅館であれば女将がにっこりしていたかなども重要な要素になる。


日本の温泉文化

 「日本人は海外旅行でも温泉に入ろう」、「日本の温泉文化を海外に広めよう」、ということを目標として実践しようとすると、それは普及活動ということになる。普及活動というと経済活動の中では、新しく開発された商品を売り込もうと言う時などに、マーケティングという形で頻繁に行われている。商品に関しては、たとえ最初は物好きしか買わないのでなかなか売れないと思っていても、一般に価格に対しての効用が大きければ、ある段階から一気に普及する。温泉の場合の効用は「気持の良さ」である。商品の場合の効用は、必要のない人にとっては猫に小判なのであるが、温泉の効用は万人に共通のものであろう。しかもその効用は一般に大きい。
 海外旅行をする日本人が、向こうでのんびり温泉につかってみれば、その効用は大変大きいことは直ぐに実感できる。従ってそういう物好きが少しづつでも増えていけば、先ず日本人の観光旅行者が海外の宿泊地を温泉にすると言うのは比較的早く普及するであろう。国際温泉評論家の出番は温泉教の伝道師として、海外旅行常習者に温泉を勧めることである。
 さて「日本の温泉文化を世界に広める」というミッションについては、広めるべき日本の優れた温泉文化はどういうものかの説明が必要だろう。日本の温泉文化を特徴付けるものは、例えば、裸で入るとか、42℃と比較的高い温度が適温とされるなどといろいろある。それらを比較文化論的に考察した結果、日本の温泉文化の究極は「温泉旅館」であるとの結論に達した。詳細は別項に譲るとして、簡単にその根拠を記しておこう。
 「温泉旅館」というカテゴリの宿泊施設(ホテル)は日本独特のものである。先ず温泉がある。これだけでも旅の要素になるのだが、温泉旅館はそこに着くと先ず女将がにこやかに迎えてくれる。気の利いた仲居さんが部屋に案内してくれ、お茶を入れてくれる。浴衣に着替えて温泉に入る。その後は翌日の出発真際まで浴衣でくつろげる。部屋に酒や食事を運んでくれて、その食事は豪華(品数が多い)である。美人女将が挨拶に来てくれてお酌をしてくれたりする。食後は温泉か、ラウンジなどでのカラオケも楽しめる。その間に部屋にはちゃんと夜具が整えてある。マッサージも頼むことができる。朝目覚めての一風呂(温泉)が気持いい。仲居さんがお茶と梅干し、更には朝刊などをもって、ご機嫌伺いにきてくれる。朝食は豪華ではないが玉子、魚、海藻、豆類、野菜などなど必須10品目が揃っている。
 非日常を求めるのが行楽の基本である。温泉、食事、泊まりなど、何れもその一つだけでも立派な行楽の要素としての非日常なのだが、それを3つ組み合わせていてしかも美人女将が仕切っているのが「温泉旅館」である。しかも宿泊は現在では一泊が基本になっている。海外にはそういう宿がない。温泉地では稀に内湯のあるホテル(温泉館と一体になったホテル)はあるが、ホテル機能としては一般のホテルと変らない。海外のホテルでは、仮に受付に美人がいたとしても、部屋は鍵を渡されるだけ、食事は勝手にどうぞ(ホテル内でも食べられますよ)、というのが一般的で、そういう仕組はシティーホテルでも田舎のホテルでも変らない。荷物を運んでもらうとチップが要る。温泉保養地のホテルでは短くても一週間の長期滞在が基本になっている。「温泉旅館」が日本で発達し、海外では発生しなかった理由もまた考察の対象としてあるのだが、ここでは省略しよう。
 「温泉旅館」の良さを世界に広めるにはどうしたら良いのであろうか。最近日本のトップ温泉旅館が台湾に温泉旅館をつくったという。成功すれば世界に広める足がかりにはなろう。ただしがない国際温泉評論家のできることといえば、機会ある度に訴えるしかない。訴えるといっても、会う人毎に温泉好きと分かれば「海外の温泉をご案内しますよ」と声をかけている程度である。何人かは乗ってくださったが多寡が知れている。海外にも直接訴えたいのだがそういう術もない。精々日本の旅行社に訴えて、海外旅行に温泉宿泊をふんだんに取入れてもらい、旅行社の方から向こうのホテルに日本の温泉旅館に近いサービスを要求して貰うということだろうか。幸い今や日本人客は各地で歓迎されている。その日本人が喜ぶ様を見て、ホテル側も気が付くに違いない。普及という意味では長い道程だが、自称の国際温泉評論家として実効はともかく、志しを評価して頂きたいと思っている。

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