国際温泉評論家 山本正隆のココシカ温泉談義
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日本ロマンチック街道の温泉 (上)

信州上田から上州を横断して下野の日光に至る道を結んで「日本ロマンチック街道」と称している。若山牧水が「みなかみ紀行」で歩いた道を参考にルートが選ばれたという。良く知られているが「ロマンチック街道」の本家はドイツである。ドイツでは観光振興のために多くの「○○街道」を設定して成功したという。「ロマンチック街道」の他に「古城街道」や「メルヘン街道」は日本でもよく知られている。実は「温泉街道」というのもあるのだが、これはあまり知られていないだろう。しかしドイツは温泉大国だからロマンチック街道にもいくつかの名の知れた温泉はある。ロマンチック街道のハイライトであるノイシュヴァンシュタイン城を望む絶景露天風呂もあるのである。
ドイツに勝る温泉大国日本としては当然のこと、街道筋には温泉が無ければならない。牧水は無類の酒好きだったというが温泉も好きだったようで、信州・岩村田から下野・日光に至る14日の旅の間に草津・花敷・沢渡・四万・法師・湯宿・老神・白根・湯元と九つの温泉に浸かっている。今のようにやたらと温泉があった訳ではない百年位前の話だから、牧水を温泉好きと断じてよかろう。そこで街道と温泉とが結びつく。本場ロマンチック街道の温泉を究めた立場としては、当然日本の「ロマンチック街道」の温泉は究めておかねばならないだろう。

本白根温泉 <嬬恋プリンスホテル>

日本ロマンチック街道は信州・上田を起点に千曲川を遡って軽井沢に出てから北に方向を変え草津に向かうのであるが、直接草津に向かうルートと万座温泉を経由してから峠越えで草津に行くルートに分かれている。後者のルートを採用すると上州三原から万座へ登る途中に立ち寄るべき温泉がある。「嬬恋プリンスホテル」に付属している「嬬恋高原温泉」である。
 以前ホテルに泊まって、ホテルから渡り廊下で繋がったところにクラブハウスがある「嬬恋高原ゴルフ場」でゴルフをした記憶がある。その時分に温泉などはなかったはずだが今はある。道路わきに「日帰り温泉可」という幟旗まで立っている。
 ホテルのフロントから長い廊下を西の端まで歩き、階段を下りたところに温泉があった。浴室の入り口に掲げられた成分表には源泉名「嬬恋高原温泉」と書いてあったが、温泉は「本白根温泉」ともいうらしい。カルシウム・ナトリウム‐塩化物泉と標示されており、透明の湯である。露天は前が開けて目隠しがなく、目の下にゴルフ場が拡がり、遠くには浅間連山が見えるという素晴らしい展望風呂である。「本白根の湯」と書かれた柱が一本、目の前に立っていた。

万座温泉

 万座温泉はかって温泉よりもスキー場として有名だった。最初に行ったのもスキーだった。温泉としては弥生時代からという説もあるくらい古いらしいが、いわゆる開湯の年代は不詳だという。しかし今日、高温で硫黄成分が日本一だという豊富な湯が自噴しており、通年車が入る最高地(標高1,800m)だということで、温泉としての人気もとみに上がってきている。上州三原から万座へ登る「万座ハイウエー」は落葉松の美林帯を通り、春の新緑・秋の黄葉の時期、ドライブは素晴らしい。また信州・高山村から万座温泉に南下する峠越えの県道も、特に秋色を愛でるドライブに最適である。従ってその後温泉やドライブをテーマにした旅でもしばしば万座に立ち寄り、湯あみブレークをした。
 万座へ最初に行ったとき泊まったのは「万座高原ホテル」だった。温泉が湧出し雪が解けて赤茶けた山肌が現れている谷の傍に建っているホテルで、形の異なった沢山の露天岩風呂が並んでいる裏庭があり、温泉好きにはたまらない宿だった。また湯舟の多くが混浴だったことも一層好ましく思えた。だからその後志賀高原辺りをドライブした帰りとか、草津温泉に遊んだ折などに何度か立ち寄り湯をした。
 万座高原ホテルから見上げる高台に、同系列の宿「万座プリンスホテル」がある。プリンスホテルだからちょっと気取った雰囲気はあるが、ここにも開放的な混浴露天風呂があって立ち寄り湯を歓迎してくれるのが好い。裸に対する羞恥心の薄い西洋化した美人に遭遇したりしてドッキリしたこともあった。最近久しぶりに行ってみたら温泉浴場はリニューアルされ露天も充実していたが、混浴はしっかりと守られていて、自然環境重視の姿勢は評価できる。

草津温泉(
The Onsen

草津温泉は日本の温泉の象徴的存在であり、いまさら書き立てるまでもない。しかし海外も含めて広く温泉を語ろうとすると、基準点として草津に軸足を置く必要がある。ベルギーの温泉地「スパ(Spa)」が温泉を意味する万国語になった。負けてはならじと、草津はOnsenを新たな国際語として広めようとしている。日本式温泉がアメリカやドイツでもてはやされつつある現状から見て、まんざら夢でもないようだ。温泉には不可欠の「ゆ」という概念(熱い水・温かい水ではない)があるのは日本だけだし、そこに育った入浴文化を世界に広めることが如何に世界平和に役立つことか。そう考えると益々Onsenに愛着を覚える。
 「〽草津よいとこ・・・」の民謡で知られる通り、草津は古くから温泉の横綱を張ってきた。そういう古き温泉場の風景や、「時間湯」という独特の入浴法などを保存しつつ、明治のはじめドイツのベルツ先生が草津温泉を高く評価して以来、草津は西洋の温泉文化も吸収する度量をもっていた。もう30年ほど前になろうか。草津には日本で逸早くドイツの温泉館(ドイツ南部・バートデュルハイムのゾーラマール)を模した「西洋湯治館・テルメテルメ」ができた。また冬はスキー、夏は音楽祭など西洋の高級温泉リゾートのスタイルを積極的に取り入れている。音楽祭に天皇陛下や皇后様がお忍びでお運びになるなどは、将にその方向が当たったと言えるだろう。
若山牧水が「みなかみ紀行」で最初に泊まった温泉は草津である。そこで彼は草津の伝統的温泉文化である「時間湯」という入浴方式を体験している。今でもテルメテルメではその「時間湯」が体験できる。「〽草津よいと〜こ・・・」と唄いながら湯もみをし、頭に湯をかぶり、湯長の号令とともに47~8℃という高温の湯に息を詰めながら静かに浸かる。湯長が時間を計っており、3分経つとあがって別室でナッピングをするという方式である。実はドイツにもサウナで似た方式がある。高温のサウナ室では時間を決めて「アウフギュッス」という伝統的なプログラムが用意されている。湯長にあたるサウナシェフと呼ばれる係員が来て熱源に水を掛けて蒸気を立て、大きなタオルで煽って天井付近の高温の熱波を、腰掛けている客人に順番に吹きかけてくれるのである。自分の前でやられると熱くて目を開けてはおれない。15分くらいのプログラムで、熱いのを我慢して終わるとすっきりする。伝統的であること、湯長がいること、高温であることなど「時間湯」と同じ仕組みである。

花敷温泉

 草津のお湯が流れ下る湯川は、以前の六合村で白砂川に合流して更に長野原で吾妻川に合流する。白砂川の上流で、支流の長笹沢川が合流する辺りに花敷温泉がある。全国各地に文人墨客が愛した温泉というのがある。文化人は温泉好きが多いのだと思う。温泉に泊まり込んで小説を書いた文豪も多いらしい。そうした文人の中で若山牧水はかなりの旅好きだったようで、着物の裾をからげ、股引、脚絆、草鞋履きでこうもり傘を背負った股旅スタイルで旅をしていたようだ。しかも温泉好きで旅の途中に温泉があれば迷わず泊まっている。従って現代になって牧水の名前を売りにしている温泉は、彼が愛したというよりたまたま途上にあったという温泉である。それでも名が出るだけで旅情を誘うから文人の価値はたいしたものだ。
 花敷温泉もそういう温泉の一つだ。牧水は草津温泉から沢渡温泉に向かう途中、思わぬところで花敷温泉への道標を見つけ出来心で寄り道をしてしまった。牧水が泊まったというのは今では関晴館本館という宿だという。宿から川を渡った対岸に露天の湯舟があったそうだ。数年前のことだが、草津温泉へ向かう途中で立ち寄り湯をしたことがある。その時は宿の屋上ともいえる位置の高台に混浴の露天があった。造りもよく展望も開けていてなかなか気に入った露天だった。しかしこの宿は先年廃業したそうだ。牧水だけでは客を呼べなかったようだ。残念なことである。

湯の平温泉 <松泉閣>

草津温泉から「日本ロマンチック街道」を東に向かうと、やがて吾妻川の支流である白砂川の谷に降りる。かっての六合村である。街道は白砂川沿いに少し南へ下った後、再度東の暮坂峠へ向けて登っている。その少しだけ白砂川沿いを下る国道292の脇に「湯の平温泉・松泉閣」があった。「あった」と過去形にしているのは近年廃業してしまったからである。国道脇に車を停めて白砂川に架けられた危なっかしい吊り橋を対岸に渡って行く温泉だった。橋より更に登ったところに宿があり、そこに声を掛けてから川際の露天風呂まで降りて行く。湯舟は広く、ワイルドで解放感満点の混浴露天風呂だった。いつ行っても貸切状態で気分の良い温泉だったのに、廃業とは残念なことだ。
現在は近くの「道の駅六合」に立ち寄り温泉館の「応徳温泉・くつろぎの湯」がある。

沢渡温泉
<まるほん旅館>

 沢渡温泉は、強烈な酸性温泉である草津に浸かった肌を中和させ「草津の仕上げの湯」と言われているアルカリ性のお湯である。草津から沢渡温泉へは、今では「日本ロマンチック街道」と呼ばれている道を東へ、草津の湯が流れる湯川が白砂川に合流する六合の谷まで下り、更に東へ登って暮坂峠(1088m)を越えて行かねばならない。峠には「上野の草津の湯より 沢渡の湯に越ゆる路 名も寂し暮坂峠」という若山牧水の詩碑と彼の旅姿の銅像がある。「みなかみ紀行」によると、牧水は草津から花敷温泉に寄り道したのち峠を越えて沢渡で立ち寄り湯をしている。「無色無臭、温度もよく、いい湯であった」とは言っているがそれ以上の評価はしていない。
 沢渡温泉には「一浴玉の肌」を謳った「まるほん旅館」がある。創業400年を誇る老舗で、総檜造りで昔風の混浴浴室を売りにしている。湯は透明なのだが湯舟の底に青い石が張り詰めてあるので、なんとなく玉の肌になりそうな湯が張られている気がするのである。

四万温泉

 近所に戦時中四万温泉に集団疎開をしていたという人がいた。お寺などに疎開していたという人が多い中で、温泉はよかったなァと思ったりした。そんなこともあって車で草津温泉に行く途中に立ち寄ったことがあった。温泉街に来てどこかで湯に浸かろうと宿を物色しながら走って、ついに一番奥の「中生館」まで行ってしまい、そこで湯を乞うた。小ぢんまりしていたが渓流を見下ろす、なかなか造りの良い岩風呂があった。そこは混浴で、丁度連れに美人がいたので嬉しかったのを憶えている。
 その時の好印象のお蔭で、その後四万温泉には何度か泊まったり立ち寄り湯をしたことがある。1954年に酸ヶ湯や日光湯元と共に最初に「国民保養温泉」に指定されたというだけあって、豊富な湯が一帯に湧出している堂々たる温泉郷なのだ。泊まったのは「四万グランドホテル」と「四万やまぐち館」である。やまぐち館には渓流脇の「南無妙法蓮華経」のお題目を彫った大岩の前に造られたよい岩風呂があった。四万温泉の開湯伝説は8世紀の坂上田村麻呂だそうだ。16世紀には最初の湯宿が出来たという。今四万温泉の老舗旅館「四万たむら」は創業500年を謳っているので、ひょっとすると最初の湯宿だったのかもしれない。若山牧水は花敷温泉に泊まった翌日、暮坂峠を越えて沢渡温泉で立ち寄り湯をした後、四万温泉の「田村旅館」に泊まっている。それが今の「四万たむら」かどうか定かではないが、そのときの牧水の印象はすこぶる悪かったようだ。
 「四万たむら」に泊まったことはないが二度立ち寄り湯をしたことがある。造りの良い浴室がいくつかあった。その他比較的新しい日帰り温泉館「四万清流の湯」にも行った。渓流を見下ろし解放感のあるなかなか良い露天があった。

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