国際温泉評論家 山本正隆のココシカ温泉談義
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日本ロマンチック街道の温泉(下)

高山温泉 <ふれあいプラザ>

「日本ロマンチック街道」は草津から暮坂峠をこえて中之条に至り、そこから国道143号になって沼田に出る。中之条から沼田までは高山村を通り、ちょうど中ほどに「高山温泉・ふれあいプラザ」がある。牧水も草鞋がけで通ったはずだが、当然当時はプラザなどという気障な温泉はなかった。温泉ブームに乗った平成の温泉である。街道からは少し南側に入った所にあるが、辺りののどかな田園風景には似合わないモダンな建物なのですぐに分かる。
室内に「いぶきの湯」という高温の源泉を引いた浴槽があり、外に出ると「ロマンの湯」というアルカリ性の源泉による露天がある。露天は高い目隠しもない開けた庭に面しているので解放感は抜群である。街道のお休み処としてはなかなかの温泉である。

猿ヶ京温泉

 上州から越後へ抜ける三国街道(R17)は月夜野で利根川本流から分かれて西へ、支流の赤谷川を遡って国境の三国峠に向かう。その峠の手前の赤谷湖を見下ろす位置に「猿ヶ京温泉」はある。もともと川沿いにあった笹の湯温泉が1958年に出来たダムで水没し、猿ヶ京温泉と名前を変えてダム湖(赤谷湖)を見下ろす高台に移転したのだそうだ。若山牧水は法師温泉に泊まった帰りに笹の湯温泉で昼食を摂っている。猿ヶ京という変わった名前は「猿の恩返しで子供の病気が治った」とか、「申年の上杉謙信が三国峠を越えて関東に入った折に猿の夢を見た」とか諸説があって定かではない。
 猿ヶ京に立ち寄りの出来るよい露天風呂があると聞いて浸かりに行ったことがある。「ホテル湖城閣」という宿である。話に聞いていた通り、広い庭に樽風呂や丸太を刳り貫いた風呂などを含めて六つの露天風呂があった。源泉掛け流しを謳い、木陰から赤谷湖を見下ろす絶景岩風呂があったりして雰囲気は良い。しかも混浴だった。丁度連れに美人がいたので嬉しかった。

法師温泉 <長寿館>

 法師温泉はかっての国鉄が、「フルムーン」という旅のキャンペーンで使ったポスターで有名になった。名優の混浴シーンで、特に女優の豊かな胸が話題を呼んだものだ。もちろんその舞台になった法師温泉・長寿館の浴室が、旅情を誘う造りだったこともポスターが人気の出た重要な要素だった。法師温泉はその名が示す通り弘法大師の発見伝説がある温泉で、長寿館はそこの一軒宿である。三国街道という越後へ抜けるメジャーな街道脇とはいえ、国境に近い山中の秘湯だ。若山牧水は「みなかみ紀行」のなかで、沼田から10時間以上をかけ、真っ暗になってからやっと辿り着いている。
 紀行には「まず何よりもと湯殿へ急いだ。そしてその広いのと湯の豊かなのとに驚いた。」とある。宿に着くなり一番に湯に浸かるのは、温泉好き共通の行動様式のようだ。更に「十畳敷よりもっと広かろうと思わるる浴槽が二つ、それに満々と湯が湛えているのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあった。」と続く。明治28年に出来た和洋折衷の浴室で、浴槽の底からお湯が自然湧出しているのだという。この名湯・名浴室は今でも健在である。
 秘湯ブームが落ち着いた今日でも人気は抜群のようで、予約もままならないと聞く。泊まりに行ったのはかなり昔で、しかも積雪期だったためか、土曜日だったのに満員というほどではなかった。連れの美人とゆっくり混浴を楽しんだ記憶がある。

水上温泉 <水上館>

 広い関東平野をゆったりと流れる大河・利根川は、上州・前橋辺りから上流は山間を流れるようになる。それを北に向かって遡って行くと谷川岳に突き当たり、川は東に曲がって奥利根と呼ばれる源流地帯になる。川の屈曲点の少し手前の川沿いに水上温泉はある。今では奥利根一帯に点在する温泉を纏めて水上温泉郷と呼んでいるが、由緒も賑わいも水上温泉はそれらの盟主である。
 付近には縄文時代の住居址があるそうである。寒冷地では温泉が湧出するところは住み易いところのはずである。だからこの地には古代から温泉が湧いていたに違いないのだが、温泉として認知されたいわゆる開湯は室町時代(16世紀)だという。若山牧水の「みなかみ紀行」が有名にしたのだとも言われているが、実は牧水は水上温泉には行っていないらしい。彼の「みなかみ」は川の源流地域という意味で、利根川の支流の吾妻川、赤谷川、それに片品川源流地域を指しているようである。
温泉の湧出地は「湯の原」というところだったようで、当時の上越南線が北へ延びて(1928年)終点が水上駅になったことから水上温泉と呼ばれるようになったのだろう。その後清水トンネルの開通で増々交通の便がよくなり、草津、伊香保に並ぶ上州三大温泉の一つになった。とまぁ、これが水上温泉の沿革らしい。
 それはともかく「水上館」へは現役時代、会社の研修会などで数回泊まったことがある。利根川の左岸に建つ大人数で泊まることもできる大型のホテルである。大型だけに部屋から温泉浴室までが遠かった。特に利根川の清流を見下ろすことのできる絶景半露天は、川に沿って細長いホテルの南の端にあったが、そこに至る経路の複雑さは全く気にならない素晴らしいものだった。

宝川温泉 <汪泉閣>

 利根川源流域で、水上より上流のいわゆる奥利根地域の温泉は、まとめて水上温泉郷と称されている。旅好き温泉好きで知られる若山牧水は、川の源流というものに関心を寄せ、それを体感しようと利根川の上流域を旅している。その折の紀行文を「みなかみ紀行」として出版したため、水上温泉は喜んだふしがある。しかし牧水の「みなかみ」は上流域という意味で、実際には利根川の支流である吾妻川や赤谷川それに片品川の流域を歩き、水上や奥利根と呼ばれる地域に足を踏み入れてはいない。当時はそんな奥地には道も温泉もなかっただろうから当然といえるだろう。しかし奥利根域に道路や温泉が開発された今日、牧水の思いに共感するものとしては、彼が行き残した利根川本流の源流域の温泉を訪ねる必要があろう。
 水上から利根川の本流に沿って「奥利根ゆけむり街道」(県道63号)が上流へと延びている。利根川本流には藤原ダム(藤原湖)、須田貝ダム(洞元湖)それに最奥に矢木沢ダム(奥利根湖)と三つのダムとダム湖がある。藤原ダムの上流では支流宝川が流れ込んでおり、宝川を少し遡ったところに「宝川温泉・汪泉閣」がある。4本の源泉から毎分1800リットルの湯が出ているそうで、東日本の横綱を張る延べ470畳の大露天風呂を売りにしている。日本武尊がご東征の折に発見したという伝説はあるらしいが、温泉として認知されたのは昭和20年代のダム建設用の道路が出来てからだという。近年の秘湯ブームで脚光を浴び、秘湯らしからぬほどに整備が進んで、せっかくの大露天もちょっと落ち着かないのが珠に瑕である。

湯の小屋温泉 <洞元荘>

 「奥利根ゆけむり街道」は水上から利根川本流沿いに遡っているが、藤原ダムを過ぎ二つめの須田貝ダムのところで本流から東に分かれ峠を越え「日本ロマンチック街道」に繋がっている。本流から分かれてしばらく行ったところに「湯の小屋温泉」がある。昔まだ若くて元気だったころ、武尊山に登るために泊まったことがある。同じところかどうかは定かでないが、今は「タヌキのお宿・洞元荘」という宿がある。狸が出没するというので宿には信楽焼の狸が並んでいたり、野生の狸を観察する部屋があったりする。秘湯ブームもあって結構人気の宿になっている。
 離れにある混浴の露天風呂が人気である。かなり大きな岩風呂で「夕立風呂」と大書された提灯が掲げられ、脇から大量のお湯が掛け流されている。暗くなって多くの客人が狸の観察を面白がっている隙に、そっと浸かりに行った。

老神温泉

 上州・沼田市にある老神温泉には三度行ったことがある。いずれも現役時代だから随分前のことだ。最初は社内行事のスキー旅行で泊まった。二度目と三度目は社内プロジェクトチームの缶詰検討会合宿だった。この時はチームメンバーに高崎勤務の人達が多かったからであろうが、何故老神でなければならなかったのかは定かでない。しかし温泉が選ばれた理由は「温泉に浸かると創造性が高まる」という信念に基づいているはずだ。
 老神温泉は関越道・沼田ICから東へ約15キロ行ったところにある。沼田からの道は、信州・上田から軽井沢や草津を通り沼田を経て金精峠を越え日光へ至る「日本ロマンチック街道」と称する街道の一部である。結構昔から知られた温泉だったようで、かの若山牧水も「みなかみ紀行」の中で老神温泉に泊まっている。当時は内湯のある宿はなかったらしく、湯に浸かるのは足元の悪い坂道をローソクを燈した提灯を掲げながら川原まで下りて行かなければならなかったという。「老神」という名はあまりにもロマンチックには縁遠いが、もとは「追い神」だったのだという。日光の神と男体山の神が追いかけっこをして温泉で体を休めた男体山が勝ったということだが、この話とてあまりロマンチックとは言い難い。ただ利根川の支流である片品川沿いの山間にある静かな温泉郷で、缶詰で仕事をするには誠によい環境であった。

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