国際温泉評論家 山本正隆のココシカ温泉談義
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大分県の温泉プチ旅 

            <長湯温泉><明礬温泉>

長湯温泉 <大丸旅館>

 所用で福岡へ行くことがあるが、その折に私の温泉好きを知っている知人が温泉に案内してくれる。今回は長湯温泉に行った。福岡空港から長湯までは150キロ程で、行程の八割は高速道路であるからそんなに遠くはない。由布院ICで降りて国道210を由布市・庄内まで行き、豊後街道と呼ばれる県道30を西に戻る。県道は所々に拡幅され走りやすい部分もあったが、全体的にかなり田舎の山道である。福岡空港から2時間半かかった。近年有名になったとはいえ、まだまだ秘湯だ。
 長湯温泉は大分県中央部の山間にあり現在は竹田市になっている。久住高原から別府湾に流れる芹川(大分川の支流)の河原に湧く温泉である。風土記に記述があるというから歴史はかなり古いようだ。しかし戦後当分の間は名のある温泉地ではなかった。平成に入って大分県で有名な「一村一物」運動に呼応した「一村一文化」運動で、当時の直入町がドイツに目を向けたことが温泉再生の引き金になった。炭酸泉という泉質が似ているからと、ドイツの温泉地バートクロチンゲン(ドイツ南部黒い森の中央部にある)と提携して、「御前湯」という日帰り温泉館をドイツ風も加味して再興した。またドイツ風の飲泉所を街の周辺に造ったりして話題を呼び、温泉好きがどっと押し掛けるようになったという。それだけではない。バートクロチンゲンの近くに「直入」と名付けた葡萄畑を持っており、長湯専用のワインを造っている。夕食時にボトルを開けてみたが、赤・白共に軽くて飲みやすいワインだった。
 直入町は平成の大合併で竹田市に併合された。滝廉太郎が名曲「荒城の月」の曲想を得たという岡城址が唯一の売りだった竹田市(の市民)は、合併を機に温泉も売りにしようと、長湯の老舗温泉旅館の旦那を市長にスカウトした。長湯が町興しの成功例となって有名になり、「観光カリスマ」の称号を戴いた旦那を迎えてあやかろうとしたのであろう。今回泊まった大丸旅館は、先日2期目の当選を果たしたその市長の旅館だった。旅館の方は二人の息子を指揮して美人女将が仕切っている。夕食ときは自らサービスするなど働き者の女将だ。
 女将だけでなく、女性の従業員(お歳の方も)皆さんが顔の色艶が良い。長湯は特に「美人の湯」とか「美肌の湯」を謳っているわけではないのだが、美肌効果は顕著である。長湯は「世界でも稀有な含鉄炭酸泉」だそうで、それが効いているのだろうか。「大丸旅館」には敷地内に「テイの湯」という泉源がある。昭和30年代に三代目女将「テイ」が夢枕のお告げで掘り当てたものらしい。チェックインした時の館内案内で最初に自慢げに説明されたのがその泉源ドームで、そのごく近くに浴室があるということであった。温泉は一般に地中にある間は還元系で、地表に出ると空気に触れて酸化が始まるという。還元は酸化の反対だから、還元系ということはそれに浸かった場合、肌に対してはアンチエイジング効果があるのだそうだ。浴槽が泉源に近ければそれだけ酸化の機会が少ないわけで、アンチエイジング効果も大きくなる。どうやら大丸旅館の温泉はそのことを実証しているように思えた。
 泉源に最も近いのが女風呂である。その次に近いのが家族風呂でそれに浸かった。畳一畳ほどの大きさだが、川に面した半露天で雰囲気は悪くない。お湯は適温のやや濁った淡黄色で、もちろん掛け流しである。「飲んで効き長湯して利く長湯の温泉」を標榜しているだけあって湯口には飲泉用のカップが置いてある。少し離れたところに、外に半露天の付いた男風呂の浴室がある。川に面しているので向こう岸の道を歩く人からは丸見えのはずだが、ここでは日常的なことなのだろう。時折人が通るが、誰もこちらを見る人はいない。

長湯温泉・ラムネ温泉館

 大丸旅館には宿から500米ほど上流に「ラムネ温泉館」という外湯がある。「ラムネ」はラムネ玉の入った独特の壜とともに日本に入ってきた「レモネード」が訛ったのだそうだが、日本では炭酸飲料の代名詞のようになったらしい。浸かると肌に泡の付く炭酸泉の温泉は各地で「ラムネ温泉」と呼ばれている。長湯の更に上流にある七里田温泉にもラムネ温泉があり、以前浸かったことがある。長湯温泉は全体が炭酸泉だから多かれ少なかれ肌に泡が着く。その中で「ラムネ温泉館」の湯は一段と泡付きが良いという。
 「ラムネ温泉館」は大丸旅館の外湯でありながら公共の温泉館になっている。JR九州がやっている「九州八十八湯めぐり」というキャンペーンで、人気No1になったというから大したものだ。通常朝10時オープンだが地元民の朝湯のために6時から1時間だけ特別に早朝オープンがある。朝の散歩がてらに行ってみることにした。しかし雨が降って来たので近いのに車で行った。温泉館は建築家・藤森照信先生の設計によるもので、塔の先端に松の木が生えているというユニークなものだ。外見の現代風に引き換え浴室はかなり年季が入っている。狭い脱衣所で裸になり、頭を打たないよう注意しながら潜り戸から浴室に入る。浴室には三つに仕切られた浴槽があり温度が高・中・低になっている。
 泡が良く付くという温泉は浴室を出た外にあった。露天だがテントが張ってあるから雨でも問題ない。泉温は32℃というから少々ぬるいが、静かに首まで浸かっていると体中細かい泡で包まれる。泡が付くことで言えば、スパの温泉を思い出す。スパはベルギーの田舎町の名前だが、今や温泉を意味する世界語になっていることを見ても昔はメジャーな温泉地だった。それも泡の出る泉が、ヨーロッパのご婦人たちを虜にしたからである。浸かってみて驚いたのだが、泡の付きようは半端ではない。細かい泡がびっしりと付いて、体中があっというまに真っ白になる。払っても払ってもすぐにまた白くなる。ラムネ温泉の泡はスパに比べれば可愛いものだ。ラムネ温泉館の受付の人が言うには「朝一は泡付きが悪い」のだそうだ。

明礬温泉 <別府温泉保養ランド>

 前泊した長湯温泉から福岡へ帰る途上、別府温泉に立ち寄った。別府といっても明礬温泉地区にある泥湯で有名な「別府温泉保養ランド」である。長湯から大分へ出て、大分光吉から別府までは高速に乗った。高速道路は海岸からは離れた高いところを通っているので、別府温泉の中でも山寄りにある明礬温泉には便利が良い。泥湯として有名だから、ネットで調べると多くの記述がある。学校のような建物だというのですぐに分かった。
 受付から温泉館までの長い渡り廊下のアプローチは、写真入りの記事で読んだ通りだった。しかし「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、脱衣所で裸になってから先は勝手を知った人のガイドなしでは迷ってしまう。最初は「コロイド湯」と称する単なる屋内の濁り湯なのだが、そこから一番濃い人気の露天泥湯に達するのに二つのルートがあるようである。秘密の通路を思わせる石段を降りて行くルートでは、道に迷った裸の女性に遭遇したりしながら広い庭の泥池に出た。
 大きな泥池は「露天鉱泥大浴場」というらしい。池の中は石がごろごろしているらしく、底が見えないので入って行くのにはおっかなびっくりである。自分もそうだが、入って来る人がみな手すりにつかまってへっぴり腰なのが面白い。温度はやや低いが何しろ湯が濃いので浸かってしまえば寒さは感じない。
更に先に「自律神経失調治療」と称する泥池があった。頭にシャワーキャップを被り、体にバスタオルを巻いたおばさんの一団が庭を横切ってそちらへ入りに行った。つられてそちらにも行ってみた。そこは温度も適温で、泥も一段と濃い。別府では湯が噴出しているところを地獄と呼ぶようで、八つの地獄を巡るツアーなどがある。ここの泥湯は八つの地獄には入っていないが、もともと紺屋地獄という噴出池だったらしい。それがそのまま入浴施設になったのだろうか。今でもぼこぼこと泥湯が湧き出してる。
泥湯というと秋田に泥湯温泉という秘湯がある。しかし単に泥色をした濁り湯である。九州には霧島の「さくらさくら温泉」が泥パックを売りにしている。また阿蘇山麓の地獄温泉にも泥湯がある。しかしいずれも浴槽に沈殿している泥は多くない。ところがここのの温泉では浴槽の底に20センチくらいの泥が堆積している。湯に浸かって腰を下ろすと、お尻の感触が未体験の独特さで、もしかして病み付きになりそうだ。
泥池を二分するように手すりの棒があり、それを境に男女が分かれているのだが、目隠しがあるわけではないのでいわゆる混浴と変わりはない。先に入って行ったおばさんたちは身体に泥を塗りたくっている。顔も目と口元を残して泥が塗られ、さながら仮面を被ったベネチアのカーニバルのようだ。真似して泥を手で掬って体に塗ってみたが、今更肌を磨く必要もないし、特にそれが気持ち良いというものでもない。最後は瀧湯と称する打たせ湯で表面の泥を落とし、蒸し湯で汗を出して毛穴に浸み込んだ泥を落とした。
泥湯から出て、明礬温泉の表に噴気が上がっているレストランで温泉卵が掛っている「温玉うどん」を食した。明礬温泉から坂を下ると鉄輪温泉地区で辺りには観光ポイントになっている八つの地獄がある。食後にそれらの中から「海地獄」、「血の池地獄」それに「龍巻地獄」を見物した。龍巻地獄は40分間隔で噴出する間欠泉だから、運が悪いと長く待たねばならない。ベンチに座ってアイスを舐めながら待った。間欠泉の語源(英語の)になったアイスランドのゲイサーに比べるべくもないが、待つ甲斐のあった結構な迫力の噴出だった。
後は高速に乗って一気に福岡に帰った。一泊のプチ旅だったが、泊まった宿には美人女将がいたし、浸かった温泉はそれぞれ質の高い特徴のあるものだったので、温泉好きとしては大いに充実感のある旅であった。
 

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