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 伝えよう!!!学童疎開児も戦後60年の古希を迎えて・・・
忘却のかなたとなっている東京大空襲!昭和19年八雲小は第一次集団疎開甲府へ250人。自由が丘の駅前商店街が全焼し、第二次集団疎開は昭和20年3月119人甲府市へ。甲府市全焼の18日前に北巨摩郡若神子村に再疎開、目黒区内の児童は主に山梨県に疎開するが、病弱の児童は病院通院のため甲府市内に留まった者は焼死した記録を発見、お世話になった学校や寮となった旅館・寺院などの地元の方々への感謝も述べずに過ぎさった60数年の歳月。戦後、食べるために生きる為の再建と高度成長に没入した我々の目標は何であったのか?このまま語り継がないで???

学童疎開
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少年は、気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。
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大東亜会議の意義について
敗戦にて封印されていた近現代史
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