国際温泉評論家 山本正隆のココシカ温泉談義
Home > TOP > _



温泉に浸かりながら南東北の古城跡を訪ねる旅
(2013/05)




   古い仲間に古城好きがいる。いわゆる「城爺」である。ここ数年彼を中心に数人が集まり、海外も含めて古城巡りツアーをしている。一昨年は北東北を巡り、昨年はスイス・フランス・イタリアを訪ねた。そこで今年は南東北すなわち茨城・山形・福島の3県の城跡を巡った。広島・大阪・京都・浜松・横浜・東京・足利と広い地域から集まった8名で、車2台に分乗して東北道・佐野SAで集合した。茨城県の白石からスタートして反時計周りに山形県内を回ってから最後に福島県の三春で解散した。4泊5日のドライブ・ツアーで4つの温泉に泊まり、計21の城跡を探訪したことになる。
鎌先温泉 <湯守木村屋>


    東北道・佐野SAで全員が揃った一行は、先ず白石城址を観に行った。東北道白石ICを出て、国道4号を5キロ程南下した小山の上に城址はあった。16世紀・秀吉の時代の築城で、その後仙台藩の南の要衝だったという。今は公園になっていて、平成7年に木造で本格再建したという白亜の天守閣が聳えていた。しかし古城好きは平成城に興味はないらしく、天守には昇ろうともせず周りの土塁跡などを探し回っている。一応天守をバックに記念写真は撮った。
 その後、近くの山間にある鎌先温泉・湯守木村屋に投宿した。鎌先温泉は15世紀の開湯で、竹取物語の舞台でもあるという由緒ある温泉ということだ。数軒の温泉宿が軒を接して建っているが、その中で木村屋は「天狗岩風呂」というなんだか怪しげな洞窟を思わせる混浴風呂が売りで、昔から温泉情報本によく載っていた。気になっていたので白石城址を観に行った折に泊まることにしたのである。
 件の天狗岩風呂は2階にあった。宿が急な斜面に建っているので2階といっても浴室は地面のレベルにある。浴室には鍾乳洞を思わせる柱や洞窟があり、壁と柱に天狗のお面が飾られている。何故天狗なのかは宿の人に尋ねてもはっきりしなかったが、岩風呂はなんだか怪しげで、奥に妖怪が潜んでいそうな雰囲気はある。お湯は透明である。源泉は37.7とあったから少々加熱しているのだろう。
 エレベータで5階に昇った屋上に大浴場と展望露天があった。大浴場にはぬるめに設定された透明のお湯が張られていたが、露天の方には鉄分を含んだ黄味がかった濁り湯が掛け流されていた。こちらの方は24時間入浴可でその点評価できる。

赤倉温泉 <三之亟>

 白河から東隣の角田の城址を訪ねた。高台の跡地はいま高校になっていて「角田城跡」と彫られた石柱だけが登り口に淋しく建っている。近くの金山城と柴小屋館の城址へも立ち寄った。いずれも小山の上にあり城好きのために整備されているわけではない。われらが城爺は山に分け入って古い石垣を見つけたと喜んでいたが、年寄りは敢えて探索することもなかろうと車で休んでいた。
 北上して仙台城跡にも行った。伊達62万石の堂々たる城だったらしいが、「明治の心なき俗吏によって破却せられ」今は護国神社になっている。神社の周りに往時を偲ばせる石垣が少し残っているが城跡としての雰囲気は希薄である。神社脇でランチに蕎麦を食した後、仙台市の郊外にあたる岩切城跡へも寄った。高速を使って古川ICで降り、国道47号線を西に向って途中の岩出山城に立ち寄った。伊達政宗が仙台城を築く前に城主をしていた城で今は公園化され政宗の立像もある。城爺の評価はそれほどでもなかったが、それよりも園内に鎮座していたSLに、仲間に一人いた鉄道ファンは大喜びだった。
鳴子温泉郷を通過して緩い峠を越えて山形に入る。紅葉の名所である鳴子峡辺りは新緑の濃淡も美しい。国境に向けて次第に高度を上げて行くと、芽吹いたばかりの淡い緑や谷底に未だに解けずに残る雪が、春の遅い奥の細道を実感させる。因みに国道と併走している鉄道は「奥の細道湯けむりライン」という。国境を越え羽前に入り、しばらく下ると赤倉温泉の標識があった。温泉は国道から南へ少し入ったところにある。
 赤倉温泉は新庄辺りで最上川に合流する支流の小国川に沿っている。その川に架かる橋を渡ると、川辺に構える「湯守の宿・三之亟」があった。三之亟は由緒と「巨大な岩石をえぐり貫いて造った」という天然岩風呂が売りで、以前立ち寄ったことがある。実は今回はネットの予約サイトで別の旅館を予約していた。しかしその後その旅館が潰れたという連絡があった。どうやら東北の客離れは収まっていないようで、特にバブル時に踊らされて過剰な投資をしたところは苦しいらしい。慌てて以前訪ねたことのある「三之亟」に電話を入れたのである。
 「三之亟」は創業三百余年の老舗で、現在17代目と称する当主が頑張っている。ある著名な旅行作家が取材に来て勝手に17代目と書いてしまったのだそうだ。以来「17代目」が独り歩きをしているそうだが、本人によると本当は良く分からないという。三之亟に着いたのは5時40分だった。「遅かったじゃないですか」と17代目が待っていた。目玉の岩風呂は6時から女性専用時間だが30分遅らせるから直ぐに入れという。そういう融通無碍なところが老舗を守っているのだろう。
 川辺に湧く温泉は多い。そういう温泉地では例えば飯坂温泉のように、川に沿って温泉街が形成される。赤倉温泉は辺境の秘湯だから温泉街を形成しているわけではないが、二三の宿が川に沿っている。三之亟もそういう川辺の宿である。岩風呂の外には川が流れていて、しきりと河鹿が鳴いていた。巨岩の壁の周りに三つの浴槽がある。メインの浴槽は深く、一番深いところは胸までの深さがある。そんな湯に浸かって岩壁を眺めるとひしひしと温泉パワーを感じる。この「天然岩風呂」は間違いなくパワースポットである。

東根温泉 <よし田川別館>

 羽前・羽後(山形県)は戦国時代から最上氏が中心となって戦ってきた地域なので、最上川沿いに古城址は豊富である。今回の古城址巡りの旅では羽後に入って赤倉温泉に泊まり、新庄に始まり庄内平野に出て酒田、鶴岡の城址を回った。六十里越街道の新道で山形盆地へ戻ってきて左沢城址公園から眼下に蛇行する最上川を観た。230キロの流路長を誇っている最上川随一のヴューポイントを謳っている処だけあってなかなかの絶景だった。
 左沢から近い東根温泉の「よし田川別館」に泊まった。東根にも城址があって、石垣などを残していまは小学校になっている。校庭には樹齢千五百年以上という大欅がある。日本ケヤキ番付で東の横綱だというだけあって大きな注連縄が張られている。また東根はサクランボの産地として有名で、かの高級種「さとう錦」発祥の地である。従ってサクランボの季節には観光客が来るが、それ以外の時期は特に震災後はばったりと途絶えるという。「よし田川別館」は大きくて立派な庭のある格調高い宿だったが、行ってみると泊り客は我々だけだそうだ。宿を借り切ったようで豪勢な気分だったが、それにしてもちょっと淋しい。
 「風見の湯」と名付けられた大浴場には樹齢二千年、直径二米の古代檜を使ったという格調高い浴槽があった。外に出るとアート風に並べられた石柱の湯口を設えた屋根つき岩風呂があった。泊り客が他にいないのだから24時間入浴可の浴室も当然貸切である。誰に気兼ねする必要もなく、露天風呂に集合して記念写真を撮った。

小野川温泉 <河鹿荘>

 山形盆地に点在する古城址を訪ねるため、東根温泉に泊まり最上川の上流域を南下した。村山市の楯岡城址へ登った後、山形城跡へ行って復元された二の丸東大手門などを観た。上山では城下町の蕎麦を食したのち、上山城、高楯城址を訪ねた。後は米沢まで一気に南下し米沢城跡で上杉鷹山の銅像前で記念写真を撮った。毎年のように挙行している古城址を訪ねる旅では泊まりは温泉と決めている。今回の4泊5日のプランでは鎌先、赤倉、東根と泊り、4泊目は米沢にほど近い小野川温泉「河鹿荘」で、最後の晩餐は米沢牛のすき焼きだった。
 メンバーの中に詩吟をやっているのがいる。毎回最後の晩餐の折に吟じてくれるのだが、だんだん上達しているのがわかる。今回は芸州浅野藩の最後の殿様「浅野坤山」作という七言絶句「厳島」を朗々と吟じた。メンバーは広島出身が多いので選詩には納得できる。美声を聞きつけたにっこり女将がやってきて、愛嬌を振りまきながらアンコールを要求。照れながらもそれに応えたのを評価したい。
 さて肝心の温泉であるが、小野小町伝説のある温泉だから当然「美人の湯」を謳っている。女将が美人だったからそれは本当だろう。「せせらぎの湯」と称する2階にある湯処になかなか風情のある源泉掛け流しの露天がある。以前は混浴だったが今では一階の奥に「あさみどりの湯」と名付けられた新浴室ができて、夕朝で男女が入れ替わる仕組みになっていた。
 翌日は国道13号で福島県に入り、福島を通過して川俣街の河股城跡を探訪し、続いて南に下って三春でランチの蕎麦を食したのち舞鶴城址を訪ねた。三春の舞鶴城は今回の城址巡りの旅の21ヵ所目で最後だった。そこで城爺の挨拶があって解散をした。

<< 戻る >>

*