国際温泉評論家 山本正隆のココシカ温泉談義
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城跡ハンター温泉紀行 <中・下越編>


 古くからの友人の一人に熱心な城跡ハンターがいる。よく城跡巡りの旅をしているようだが、その旅で泊まりを温泉にすることにより温泉好きとの接点が生まれる。そういう訳でここ数年、海外も含めて「温泉に泊まりながら古城跡を訪ねる旅」を続けている。ハンターとしては東北が空白域だということだったので、福島県から始めて北東北(青森・岩手・秋田)、南東北(宮城・山形)と巡って来た。そこで今回は新潟県の北部、すなわち中・下越の城跡を巡る旅に出た。
 メンバー8人が越後湯沢駅に集合し、関越道でやってきた2台の車に分乗して城跡巡りのスタートを切った。4ヵ所の温泉に泊まり、合計16の城跡を訪ねてから村上市で解散した。メンバーの中には新潟駅から帰ったのもいるが、温泉好きは会津へ回ってアディショナル温泉をしてきた。
 城跡は、ハンターでなくても旅先での見所として結構面白いものである。温泉好きとしてもこれまで城跡探訪に結構付き合ってきた。しかし新潟の古城はどういう訳か山城が多く、その山の高さも半端ではない。そんなわけで今回は山に登るのは遠慮し、ナビゲータと温泉を楽しむことに徹した。

五十沢温泉

 越後湯沢駅に集合し午後一番から、かって上杉陣営が三国街道を固めた二つの古城跡、荒戸城、樺沢城を訪ねた。いずれもしっかりした城跡が残っていたとハンターはご満悦だった。後は泊まりの温泉だが、辺りに湯沢や六日町という有名な温泉地があるなかで、露天風呂に注目して五十沢温泉を選んだ。
 五十沢温泉はコシヒカリの名産地、南魚沼市にある温泉である。国境の谷川岳辺りから北へ流れ、小千谷の近くで信濃川に合流する魚野川と、その魚野川へ東から流れ込む三国(さぐり)川が形成する六日町盆地と呼ばれる小さな平野がある。三国川には魚野川に合流する手前で、百名山にノミネートされて有名になった巻機山(1967m)が源流の五十沢(いかざわ)川が合流している。その合流地点に近いところに五十沢温泉がある。一軒宿の「ゆもとかん」は杉の疎林を抜けたところにあった。五階建ての大型旅館で、裏は広い田圃である。
 本館にも男女別の浴室があったが、本館の西側の端の離れのような所に大型の混浴浴場があった。混浴といっても湯舟は大きく、しかも仕切りに巨岩を配した岩風呂で、異性の視線を気にする必要はあまりないようだ。外に出るとそこにも大型の露天岩風呂がある。周りの巨岩と植木で田圃を見ることはできないが、露天の価値を決める解放感は抜群である。1976年に消雪用の井戸を掘っていて偶然50℃の湯脈を発見したという自家源泉から、透明のpH9.5というアルカリ性のお湯が豊富に掛け流されている。室内には女性専用という扉があり、そこを出たところにもやや小さい露天がある。混浴を謳っている温泉なので、その露天の先も大露天につながっている。しかし5月末という閑散期で、しかもウイークデーなので、混浴の楽しみを期待できる状況ではない。
 近くに八海山(1707m)というロープウエーの懸った山がある。しかし「八海山」は越後の銘酒として有名である。すぐ近くにその酒蔵があるというので、夕食時の乾杯は当然「八海山」だった。

蓬平温泉 <福引屋>

 旅の2日目、城跡ハンター達の最初の目標は、丁度泊まった五十沢温泉の裏山に当たる坂戸城だ。朝一番で朝食を摂り、ハンター達を登り口まで送ってから宿に引き返し、露天風呂で名残を惜しんだ。坂戸城は魚沼盆地を支配する重要な要害だったようで、広い城跡は国指定の史跡になっている。ハンター達は4時間かけてじっくり探索したようだ。
 次の城跡は十日町にある秋葉山城である。八箇峠のトンネルを抜け、十日町へ下る途中で、この辺りの名物「へぎそば」を食した。その後十日町の中心から少し西の谷道に入り、道端に車を駐めてハンター達は秋葉城跡を探索した。その後は信濃川沿いに下って小千谷に至り、小千谷駅の裏山に当たる城山の頂にある薭生(ひお)城跡に登った。
 今宵の宿は長岡市の山の中にある蓬平(よもぎひら)温泉である。10年前の中越地震で大きな被害を受けた温泉である。小千谷からは地震で孤立して有名になった山古志地区の峠道を通った。蓬平では三軒ある温泉旅館の中で、固い地盤に建っていて最も被害が少なく、営業再開も比較的早かったという「福引屋」に泊まった。ロビーで堂々たる大女将に迎えられたが、チェックインの記入時はにっこり若女将の対応だった。若女将は嫁なのだそうだが、なぜか顔も体型も大女将に似ている。よくそう言われるとのことだが、毎日同じものを食べていると似てくるのだとの説明だった。
 五階建ての旅館だが部屋数が23というからそれほど大型ではない。「御利益風呂」と銘打った浴場も、造りはよいが小ぢんまりしていた。お湯はpH9.5で14℃という鉱泉を沸かしたものだが、十四世紀の末、龍神のお告げで発見された「招福の湯」だとか。それが先の大地震で、お湯が濃くなり湯量が増えたということだ。縁起の良いお湯に違いない。殿方の内湯は「商売繁盛の湯」、露天の岩風呂は「湯〜福」の名がついていた。因みにご婦人の方は内湯が「家内安全の湯」、露天が「福余香」だそうだ。そういえばにっこり若女将は「ふくよか」そのものである。
 「福引屋」の名に因んだ行事なのか、午後9時になるとロビーで太鼓の響きと共に、泊り客全員が参加する「富九時」と称する福引大会がある。五円玉が景品の残念賞が多い中で、館内利用券400円分が当たったので、まあよしとしよう。

角神温泉 <ホテル角神>

 蓬平温泉で朝を迎えた城跡<span>ハンター達が最初に向かったのは、長岡市の栃尾地区にある栃尾城跡である。栃尾市街地の西を固める鶴城山にある。栃尾城は上杉謙信が長尾景虎だったころ城主をしていたこともあるという由緒ある城だ。山の中腹に城跡探索者のための駐車場が用意されていた。次に訪ねた城跡は更に北上して三条市にある大面城である。低い山城だが、登り口を探すのに手間取ったうえ城跡は藪がひどく、ハンター達には不満だったようだ。
 次の城跡に向かう途中、やっと見つけた東三条駅前の食堂で遅いランチをした。更に北上して次は加茂市の要害山にある加茂城跡である。要害山は市街地の南にある山で、麓ぎりぎりまで住宅地が密集している。たまたま休診日だった歯科医院の駐車場に車を駐めさせてもらってハンター達は勇躍登って行った。次の予定は阿賀野川の中流域にある津川城跡である。しかし加茂城跡でも意外に時間を喰ったので、津川城跡は翌日回しにしてすぐ近くの角神温泉に直行した。
 南会津に端を発し、途中で只見川を合わせて日本海へ注ぐ阿賀川は、新潟県に入ると何故か阿賀野川と名を変える。この川には高さの低い堰のようなダムが連なっており、従って川はどこでも川幅一杯に水を湛えゆっくりと流れている。丁度緑が深まって行く時季だったので川面もそれを映して濃緑である。新潟県に入って二つ目のダムに鹿瀬ダムがある。そのダムサイトの少し上流右岸の広い河岸段丘に角神温泉の一軒宿「ホテル角神」がある。
 このホテル売りは川面を見下ろす絶景露天である。通された部屋が別館だったため、その温泉に浸かるには長い地下通路を通って本館に行き、さらに長い階段を下りて浴室へ。浴室から外に出て、ジグザグの道を下りて行かねばならなかった。ちゃんとしたホテルの露天でありながら、あたかも野湯に行くようなアプローチである。しかしそれだけの価値ある解放感と絶景を堪能できる温泉だった。

胎内温泉 <ロイヤル胎内パークホテル>

 城跡ハンティングツアーの四日目、朝一で翌日回しにしていた津川城跡を究めた。町興しの一環だろうか、探索道は整備されていた。野口雨情の「津川山城 白きつね 子供が泣くから 化けてみな」という歌碑があった。この辺りに「狐の嫁入り」の伝承があるのだそうだ。津川からは高速に乗って新発田へ行った。新発田城は堀が張り巡らされた立派な平城だが、城跡のほとんどは自衛隊の駐屯地になっている。立派な本丸表門とその周りの石垣や土塁が残っている。ボランティアガイドが説明してくれるのはありがたいが、言葉がほとんど分からない。悪いからと適当に相槌をいれるのも骨が折れる。
 次は新発田に近い加治城跡である。要害山にある山城だが、中腹に寂れた神社(藤戸神社)がありそこまでは車が入った。この辺りは国道を走っても食堂は滅多にお目に掛れない。やっと見つけた道の駅でセルフサービスのランチをした。次は胎内市の市街地の中にある江上館跡である。駐車場も案内板もちゃんと整備されていた。街中の館跡だから探索に時間はかからない。すぐに次へ向かった。同じ胎内市にある白鳥山にある鳥坂(とっさか)城跡である。かなり高いところまで車で入れるつもりだったが、土砂崩れかで通行止めになっていた。それでもハンター達はめげずに登って行ったが、時間はかかりそうだ。ナビで近くに温泉を見つけて待っている間に浸かって来ることにした。
胎内市は東側には飯豊山地が連なっていて、そこから日本海に流れる胎内川が市の中央を流れている。国道7号を右折して胎内川に沿って遡り、奥胎内方面への標識に従って10分も走ると、そこに突然辺りののどかな風景に似合わない立派なリゾートホテルが建っていた。閑散としているのだが、それだけにちょっと気後れするような広いロビーがあり、フロントには美人がいた。
 二階が温泉浴場だった。内湯のすぐ外側に前が庭になっていて、雰囲気の好い半露天の大きな岩風呂があった。その横の渡り廊下のような通路を通って数段の階段を登るとテラスがあり、そこに木造りの展望風呂があった。展望と言っても眼前に緑の山里が広がっているだけなのだが、それがまた何とも言えない癒しの風景だ。お湯は透明で浸かるとつるつる感ですぐに美肌の湯と分かる。思いもよらぬ良い温泉で嬉しかった。高級ホテルらしく、それらしいラウンジが一階にあった。湯上がりにアイスティーを所望したのだが、消費税別だての料金標示だったりして、しっかりと高級ホテルを演出していた。

瀬波温泉 <瀬波ビューホテル>

 この日は瀬波温泉で露天風呂に浸かって夕陽を愛でるという目標もあった。鳥坂城跡の探索を終えた時点で予定の残り二つの城跡を割愛して温泉に急いだ。
 瀬波温泉は新潟県北端の村上市にある温泉である。明治の終わりごろ、石油の試掘で掘り当てた温泉だそうで、先ごろ開湯100年を祝ったばかりだという。だから情緒を感じる温泉街などはない。多くの温泉宿が日本海に面した海岸に並んでいて、それぞれ夕陽の美しい温泉を売りにしている。露天風呂がまだ珍しかった頃、車で旅をしている途中、当時から露天風呂を売りにしていた宿に立ち寄り湯を乞うて断られたことがあった。ちょっと悔しい思いをしたので、後でその宿に泊まりに行った。しかし売りの夕陽は天候に左右される。その日は生憎曇天でがっかりしたものである。
 今どきはどの宿にも露天風呂はある。ネットで浴場の映像を見比べ、全く目隠しがなくて海が望める露天のある宿を選んで予約を入れていた。それが「瀬波ビューホテル」である。瀬波温泉方面に海岸沿いの道路を北上していて最初にあったのがそのホテルだった。「ビュー」を標榜しているだけあって全室オーシャンビューのホテルである。夕陽が沈むのは6時50分ごろだというので、夕食は7時からということにした。
 温泉好きの仕来りとして、着いてすぐに温泉には入ったが、夕陽の時間を見計らってカメラをもって再度露天風呂へ浸かりにいった。良く晴れた日だったが、水平線近くにうす雲が棚引いていて、真っ赤な夕陽とはいかなかった。しかしそれなりの絶景を楽しむことができた。何しろ露天はお湯に浸かったままで絶景が望めるのが最高である。
 夕陽も日本海に沈み、浴場からそのまま夕食会場へ行ったのだが、担当の仲居さんが笑窪の可愛い美人だったので、この日の行程は全て良しである。

宮下温泉<栄光館>

 城跡ハンティングツアーの五日目、最終日である。朝一で村上城跡へ行った。市街地に接して西側にある臥牛山(135m)にある。手頃な市民のウォーキングコースになっていると見えて朝から大勢の人が登って行った。次に訪ねたのは少し北にある大場沢城跡である。麓のお寺の駐車場に車を置いて登った。この日の城跡探訪予定はこの二つだったが、ハンター達は前日パスした城跡が気になると見え、途中で昼食を摂りながら引き返して平林城跡へいった。国道にちゃんと標識がでていただけあって登山道は整備されていた。
ここで会は解散し、この日のうちに帰る必要があった一台の車、四人は分かれて新潟駅に向かった。残りの車の四人は急がないというので、会津美人に会いに西会津の宮下温泉へ寄った。美人若女将がいる行きつけの「栄光館」である。翌日、旅としては六日目になるが、会津美里町に工房を持つ美人陶芸家を訪ねて、白磁の美しい作品を鑑賞した。その後、南会津から白河へ抜けて東北道で帰った。途中、江戸の下町・鬼平犯科帳をテーマにしてリニューアルした羽生PAに寄って、「五鉄」のしゃも鍋をランチに食した。東京駅で関西組の二人を降ろした。
城跡ハンター温泉紀行はアディショナルも含めて結局5泊6日の長旅になった。訪ねた城跡は16だったが、浸かった温泉は6ヵ所になったので温泉好きとしても満足のいく旅だった。

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