国際温泉評論家 山本正隆のココシカ温泉談義
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第78回
 新緑の諏訪湖と高ボッチ






「信泉会」は信州の温泉に拘った旅のグループで、
1975年に始まり今回で78回目の旅になる。蓼科地区にある「縄文の湯」に集合し、水陸両用バスに乗って諏訪湖をクルーズした。塩尻峠から高ボッチ高原・鉢伏山をドライブし、崖の湯に下りて「薬師平茜宿」に泊まった。翌日は諏訪に戻って「原田泰司美術館」を鑑賞。締めに片倉館で立ち寄り湯をした。

 

「縄文の湯」に集合
 

今回は蓼科地区の「尖り石温泉・縄文の湯」に集合した。車6台17名である。4年前に集合場所にしたのは付近にある「尖り石の湯」で、今回とは別の温泉である。信泉会ではかって「縄文の湯」に立ち寄ったことはあるが、集合場所にしたのは初めてである。近くに旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡があって、石器を研いだとされる三角錐の石があることから尖り石遺跡と呼ばれているようだ。付近からは「縄文のヴィーナス」と呼ばれる土偶が発掘され、国宝に指定されている。国宝としては日本最古のものだという。この辺りは古代から温泉が利用されていたそうだから、縄文のヴィーナス達も温泉に浸かっていたに違いない。「縄文の湯」にもレプリカが置かれている。

ダックツアー諏訪
 

 水陸両用バスで諏訪湖を観光しようと早昼をした。茅野市街地の国道(R152)脇にある「そばきり吉成」で蕎麦ランチである。地粉を使っているといい、細切りで美味だった。大阪にある「ダックツアー」という会社が、全国数か所で水陸両用バスのツアーを実施していて、諏訪湖では「ダックツアー諏訪」というプログラムで営業している。珍しい乗り物だからということで、信泉会でも乗ってみることにしたのである。バスは諏訪インターの近くの「おぎのや」の駐車場から出る。「船が出るぞ〜!」という掛け声とともに1205にバスは出た。真っ直ぐ諏訪湖の南東岸に向い、勢いをつけて湖に入る。湖上は穏やかで東南に富士山、北西に穂高岳が望め、25分ほどのクルーズだがなかなかの絶景だった。陸に上がって高島城の脇を通り、上諏訪の駅から旧国道を通って銘酒・真澄を始め立ち並ぶ酒蔵を見ながら、今度は「船が着いたぞ〜!」という掛け声で出発点に戻った。全行程70分であった。
 

高ボッチ

 高ボッチ高原は諏訪湖の北西、塩尻の東に連なる山脈の稜線部にあって、槍・穂高をはじめ北アルプスを大観するには最高の高原である。約30年前の第22回信泉会で登ったことがあり、今回は久々のドライブである。前回は安曇野側から登り塩尻峠に降りたのであるが、今回はダックツアーの後、塩尻峠側から登った。今では「高ボッチスカイライン」と大層な名前が付けられているが、舗装はされているものの細い山道は昔の儘である。ただ高原には広い駐車場を備えた展望台が整備されていた。期待した青空ではなかったが、目立つ三角錐の常念岳の奥に槍ヶ岳・穂高岳も確認できパノラマとしては好かった。鉢伏山にも足を延ばしたが、昔は行けた頂上までは行けず、アルプスは見えない。がっかりだったが手前の山小屋で珈琲を喫してから引き返した。
 

崖の湯 <薬師平茜宿>

 高ボッチまで戻り、西の眼下に望む安曇野に向かって屈曲する山道を下る。約700米を一気に下った標高900米の位置に「薬師平茜宿」があった。この宿はかっては「薬師平ホテル」といい、信泉会では18年前(1997春)に立ち寄り湯をしたことがあった。外観やロビーの構えなどは変わったように思えなかったが、温泉は露天風呂が立派にリニューアルされていた。ちょっと高い位置になったので展望もよくなった。「崖の湯」は国土地理院の古い地図には「欠ノ湯」となっている。開湯は明治14年だそうだが鎌倉時代に山が欠けて(山崩れ)温泉が出たという。泉質はカルシウム・マグネシウム・硫酸塩・塩化物・炭酸水素塩泉と仰々しいが、13℃の冷鉱泉である。
 

原田泰司美術館・片倉館

 翌日は宿の前で記念写真を撮った後、塩尻の方に下り、国道20号で塩尻峠を越えて諏訪に戻った。諏訪市出身の素朴画の画家の作品が展示されている「原田泰司美術館」を観たのである。素朴画はどれを見ても心がほっこりするのが好い。湖を望む雰囲気の良い喫茶室で珈琲を喫した。
 混む前にと早めに近くの「八洲」で蕎麦ランチをした。「八洲」はかっては信泉会の御用達のような蕎麦処だったが、ここ30年ほどはご無沙汰していた。場所は変わっていなかったが建物はリニューアルされていた。
 信泉会の締めの温泉は由緒正しい「片倉館」にした。信泉会では1984年に片倉館に立ち寄っているし、2001年には集合場所にしている。
 


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